数学の分野の1つに「数論」というものがあります。
自然数とか整数、正負の数、分数、小数、奇数・偶数、約数や倍数…など、数の性質や数の世界の仕組みや法則などを研究する分野です。
そのなかに「無限論」があります。たとえば「無限大」「無限小」「無限分割」などを考える分野です。
ところで、理論的には「無限」は存在するということになっています。
しかし、私たち人間が、無限を現実に見たり体験したりすることは、無限というだけに、普通はありえない話です。
それに「無限」といっても、数学的に見て「これは確かに無限だ」と判断できるものごとは、めったにありません。
たとえば「宇宙の大きさ」。
比喩的ないし文学的、情緒的な意味合いで、「宇宙の大きさは無限だ!」という表現がされることがあります。たとえば、満点の星空を眺めて感動したときに。
でも、現代の宇宙論や天文学によれば、この宇宙はだいたい140億光年の広がりの有限な世界=空間であるということです。
つまり、有限なのです。
ところが、私は中学生のときに《現実に存在する無限》を体験したことがあります。
私が通っていた中学校のお手洗いには、男子用・女子用トイレのあいだを仕切るように洗面場がありました。
部屋の両側に大きな鏡が1枚ずつ貼りつけてありました。縦80センチメートルくらいで横1メートルくらいの長方形の鏡です。
あるとき、鏡の真前の水道蛇口を使って手を洗った後、何気なく鏡をのぞきこみました。
すると、正面の鏡のなかに、反対側の壁の鏡が映っていました。もちろん、鏡のなかには鏡を不思議そうにのぞいている私が映っています。
そして、映っているその鏡のなかには、反対側の鏡(つまり、私がのぞいている鏡)が映っています。
さらにそのなかには、その反対側の鏡が映っています。さらにさらに、そのなかには…。
というわけで、互いに反射し合う鏡の写像が互いのなかに映り続けているのです。
数えてみましたが、20個くらいでわからなくなりました。
写像の数は無限ですが、私の能力は「あまりにみじめに有限」です。
後ろを振り向くと、鏡に同じような写像が連続していました。
図にすると下のようになっていました。

こんな狭い空間では、光は直進しますから、鏡は互いに映し合って、写像は無限に続きます。
つまり、そこで向かい合った鏡が互いを無限に映し合うという現象が起きていたのです。
そのときの知識で、光の速度は秒速30万キロメートルなので、仮に2枚の鏡ののあいだの距離を3メートルとすると、1秒間に写し出される鏡の枚数は「30万×1000」枚で3億枚になるのかな? なんてことをぼんやり考えていました。
ということは、実験として鏡の枚数を数えて、それに2枚の鏡のあいだの距離を掛け算すると、光の速度は測れるんじゃないかな、なんてね。