2013年02月09日

円という図形の意味をさぐる

今回は幾何学、つまり図形に関する数学の入口に立ってみましょう。
ところで、幾何学は英語でgeometryです。もともとはギリシア語で、ゲオは大地や地面、メトルは計測する、測量するとか韻律を調べるという意味があるそうです。だから、測地学というわけで、もともとは耕地とか建物の敷地などの形状や面積を調べる技法から始まったといわれています。

そのせいか、机の上で図形を見ているよりも、屋外(庭)に出て、地面に図形を描いてみたり、物の形や運動の様子を調べて見る方が、数学や物理学として図形を学ぶための役に立つことも多いのです。
こういう話の始め方には、無理があるでしょうかねえ。無理やり話を戸外や庭にもっていこうとしているみたいで。

円を描く

今回は《円という図形》の話です。
まず円を描いてみましょう。机の上のノートや画用紙になら、コンパスを使えば簡単に円が描けますね。
しかし、それでは「円」という図形の意味はあまりわかりません。
もちろん、コンパスは円の中心と半径を決めて回すと円が描けるのですから、ある中心点から等しい距離にある点の集合、または軌跡(動いた痕跡)だということはわかりますが。
では、庭に出て直径4メートルくらいの円を描くときはどうしますか。
短い棒が2本と紐が1本あれば、円を描けますね。
2本の棒にそれぞれ紐の端を縛りつけて、一方の棒を中心にして、片方の棒で地面に跡が残るように回せばいいのです。このとき、紐はぴんと張っていなければなりません。少しでも緩むと、円が正確に描けません。

circle.png

地面に跡を残さなくてもいいとすると、紐の端に何か重りになるものを結びつけて、それを外側にして空中を飛ぶように回せば、重りは円の形の軌道を描いて回転することになります。これも円です。
これは自分の身体や目を使う大事な経験です。円がどういうものかを知るためには。

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運動または力学としての円

この2つの場合は、何かの運動の結果として地面の上や空中に、軌跡や軌道として円が描かれました。
このことを少し考えてみましょう。
いずれの場合も、中心になる棒や手がぴんと張った紐を引っ張り続けていたのです。そして外側の棒や重りは、紐が緩むことがないように外側に向かって動こうとしていました。
とくに重りの場合には、つねに外に外に飛び出そうとしていて、その力は紐をつうじて手にかかってきます。
もし、紐が切れたり、手を離したりすれば、重りは円の外側に遠く飛び去っていくでしょう。

ということは、円という軌跡は、中心に向かって引き落とそう(引っ張る)力と、外側に飛び去っていこうとする力が合成されて、均衡しているときにできる形なのですね。
地球や木星など、太陽系の天体=惑星たちは、中心の太陽の巨大な重力を受けて円(正確には楕円)運動をしています。太陽の周囲を公転しているのです。
もし太陽の重力が大きすぎれば、惑星は螺旋を描きながら太陽に向かって落ち込んでいくでしょう。
運動の軌跡としての円という図形は、落下させようとする力と飛び離れようとする力の合成が生み出す運動の軌跡=軌道なのです。



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2013年02月08日

1+1=2 になる場合は?

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前回、数や数量の数え方、測り方にはいろいろな考え方があると述べました。
ということは、数や量というものは、人間の勝手に考えだした「主観」なのでしょうか。
しかし、一方で、言葉としての数、記号としての数字は、人間の脳の作用(精神・意識)が自分や外界を写し取ってきたものだとも述べました。
つまり、言葉や数、数字は世界の反映、映し鏡だということです。

何やら混乱するかもしれませんが、要するに、世界が人間の脳作用=主観という鏡の側に写し取られ、変形されているわけです。
しかも、人間は自分の精神世界すら言葉や観念に置き換え、写し取って推論し、思考するのです。
そして、人間個人や集団の価値観や思惑、要するに世界観がこの反映には影響するので、鏡に映った像は、ひっくり返ったり歪んだりすることもあるわけです。つまり、バイアスやフィルターがかっかているのです。

それでも、人類が文化や文明をもってから1万年近く、この地上でさまざまな環境変化に適応して生存し続けてきたということは、言葉や数による世界の写し取りや認識がそれほど間違ってはいなかったということでしょうか。
もちろん、科学・工業文明がある一面だけ発達しすぎた感もありますので、これから先のことはわかりませんが。

1+1=2 はいつも成り立つわけではない!

前置きが長くなりました。
今日の話題は、《1+1=2》という数学の計数の出発点にあるはずの「常識」がじつは、この世界の出来事や仕組みのなかでは、きわめて限られた特殊な場合にすぎないということです。
数や数量の世界、数学の世界、力学の世界で、単純に1+1=2になるのは、ある価値観や法則=約束事が通用している限りでのことなのです。その約束事の世界にとどまる限りで、単純な計算は可能なのです。

rapple.02s.png

たとえば、上の図のリンゴ。それぞれに1個と見なすことができます。それで、たとえば、一番左のリンゴと真ん中のリンゴを合計すれば、1+1=2個となります。
でも、この2つのリンゴは色も形・大きさも違います。たぶん味も違うでしょう。重さも違うでしょう。
つまり、性質や品質、属性が違うものです。
そういうことがらを一切無視して、それぞれ独立の単体として1個と見なすという約束事のうえで、この単純な足し算は成り立っているのです。
だから、「私は重さや味なども考慮に入れたい」ということになれば、この約束事とともに「1+1=2」という原理もたやすく崩れ去ってしまいます。

このほかにも、1+1=2にならない場合があります。
たとえば、物理学の「力の合成」、ヴェクトルの問題です。

力の合成.png

上の図のような90°の角度で互いに作用する力の和は、対角線の長さに相当する力となります。三平方の定理や三角関数を学んである人なら、「ああ、√_の大きさになるな」とすぐにわかるでしょう。《12+12=2》の平方根です。
ここでは1+1=2 にはなりません。

このほかにも、粒子とか分子の大きさが異なる液体や穀物の容積の合計も、やはり1+1=2 にはなりません。
たとえば、水とアルコールとをそれぞれ1リットルずつ同じ容器に入れてよくかき混ぜると、2リットルにはなりません。豆と米でも同じです。
小さな粒子・分子が大きな分子の隙間に入り込んだりして、容積は2リットルよりも小さくなります(下の図のように)。

粒子.png

ところが、重さならば、水1キログラムとアルコール1キログラムの合計は2キログラムとなるのです。ただし、同じ1つの重力系のなかにおいてという限定つきですが。
このように、ある特殊な側面(次元)だけに限って思考=計測すれば、1+1=2 が成り立つのです。

posted by 田舎おやじ at 09:08| Comment(0) | 数の世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月07日

命題の真偽と集合

前回述べたように、主語と述語からなる文は、論理学でいう命題ということになります。そして、主語が仮定で、述語が結論という役割になっているということでした。
ここでは、主語をP、述語をQというふうにしておきます。
「PはQである」という文は、「PならばQとなる」という論理の構造になるのです。略して「P→Q」と表記することにします。
それで、論理学=数学的には、こういう文=命題について真か偽かを判断することができるということでした。

そして、この真偽判断にさいしては集合の考え方を尺度にしているわけでした。
集合関係としては、P⊆Q、つまり集合Pが集合Qとイコールか完全に含まれているという関係にあるときに、命題P→Qは真となること、そのほか、つまりP⊃Qの場合には偽となるのです。

集合の包含関係.jpg

このような集合の包含関係は、私たち人類の経験や観測、推論や思考から組み立てられたものです。
したがって、言葉の定義の仕方によっては、ひっくり返ることもないわけではありません。

では、この考え方を使って以下の命題について、真偽を判断してみましょう。図形については、机の上のような平面の世界、つまりユークリッド空間でのこととします。

@ クジラは哺乳動物である。
A カブトムシは節足動物である。
B 昆虫はカブトムシである。
C 熱帯地方の方が、北極圏よりも昼間の時間は長い。
D 4辺の長さが等しい四角形は、正方形である。
E 正三角形は二等辺差角形である。
F 鉄は水に浮くことはない。

《正解》
@ 真。クジラは哺乳動物のなかの1つの種です。
A 真。カブトムシは昆虫で、節足動物のなかの1つの目(類)です。
B 偽。昆虫にはいろいろあって、カブトムシとは限りません。
C 偽。北極圏や高緯度地帯では、夏になると昼間が極端に長くなり、日没がなく夜がない白夜もあります。ただし「冬には」という季節の限定をすると、「真」になるのです。
D 偽。4辺の長さが等しい四角形はひし形で、そのうち4内角が等しい(直角)という特殊な集合が正方形となります。
E 真。二等辺三角形のうち、3辺(3内角)が等しい特殊な集合が正三角形。
F 偽。鉄でも船のような形にして体積を大きくして、重量よりも浮力が大きくなるようにすれば、水に浮きます。

では、次回までの課題を出しておきます。考えてみてください。
《課題》
@ 正方形は台形である。
A 平行四辺形は台形である。
B 平行四辺形はひし形である。
C 酸素は水よりも軽い。
D 対角線が直交する平行四辺形は、正方形である。
E 対角線が直交する長方形は、正方形である。
F 2つの内角が直角である台形は、長方形である。
G 台形のうち、向かい合う内角が等しく、対角線が直交するものは、長方形である。

posted by 田舎おやじ at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | ことばで学ぶ数学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

数量の数え方、測り方

数、数量についての見方、考え方は、じつにさまざまです。
ある子どもたちのグループで、リンゴの数量を調べることにしました。
「リンゴは全部でどれだけありますか」という課題でした。
たとえば、こんなリンゴです。

rapples.png

A君は、リンゴを「1個、2個、3個・・・」と数えていきました。
そういう数え方をする子どもが大半でした。
ところが、絵を描くことが好きなB君は、あることに気がつきました。
テーブルに置かれたリンゴは、それぞれ大きさや形、色が違います。
「絵に描いたら面白いだろうな。でも、色や形が違うものを、どうやって数えたらいいんだろうか? 似た色のリンゴを集めてグループにして数えようか、それとも大きさでグループに分けようか、いやいや重ささを測ってみようか・・・」と。
しばらくしてから、みんなで調べたリンゴの数量を発表することになりました。

ほとんど子どもの答えは「リンゴは全部で8個ある」でした。この答えを@とします。

なかには「大きいリンゴが5個、小さなリンゴが2個、中くらいの大きさのリンゴが1個」という答えもありました。これをAとします。

さらに、「色や大きさがまちまちなので、リンゴの重さを測って合計を出しました。全部で2435グラムです」という答えもありました。この答えをBとします。

さあ、では正しい答えはどれでしょうか。
どれも正しいですね。

飛び飛びの数=個数 と 連続する数=重さ

数・数量を数えるということは、じつにいろいろな意味があって、数え方や測り方も考え方、見方しだいでやはりいろいろあります。
@は、リンゴそれぞれの色や大きさ、重さなどの性質(特性・属性)を考えずに度外視して、それぞれのリンゴを1つの独立した個体・単体と見なして、その個数を測るという方法です。
Aは、だいたいの大まかな大きさの違い(見かけの大きさだけで重さは考えない)で分類して、それぞれの大きさの個数を数えました。そして、リンゴそれぞれを1つの独立した個体・単体と見る方法は@と同じです。
Bは、リンゴそれぞれを独立した個体・単体とは見なさずに、重さの集まりと考えたようです。そして、その全部を集計して、大きな全体の集まりとして数量(重さの合計)を測りました。
ここで、Bの答えの数量キログラム単位で表すと、2.435キログラムとなります。小数になります。
この場合、区切りのよい1個、2個、3個という整数、自然数ではなくて、小数の数量になっています。

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Bの測定結果を出したC君は、重量測定機の上に、1つずつリンゴを足して乗せていきました。1つ目の重さは、342.3グラムでした。次のリンゴを乗せると、合計で515.6グラムになりました。
ここでは、1つ目のリンゴと2つ目のリンゴとのあいだに区分というか仕切りはありません。重さは、1個1個のリンゴの区別にはかかわらず、連続的に増加していきます。
そうしてみると、重さという考え方には、個数による仕切りがないということになります。
もし豆やサクランボのように、小さくて軽くて、1つひとつの重さが小さければ、1つ増えるごとの重さの変化はもっとずっと小さなものになります。
砂粒や塩の粒だったらどうでしょう。

というわけで、重さの変化の大きさは、どこまでも限りなく小さくなっていきます。
そうすると、1個、2個、3個というように飛び飛びに変化する、つまり不連続の数の変化と、切れ目なく連続する数というものがあるわけです。
今、私たちは数学という科学の「大問題」の入口に立っているのです。

posted by 田舎おやじ at 08:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 数の世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月06日

ことばの文法と数学

p style="line-height: 2em;"> まず、「言葉や文章の論理学」から話を始めましょう。

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言葉の論理学

日本語の文の形には、次の3つがあります。
@ 何が何だ。 ・・・例)これは猫だ。
A 何がどうする。 ・・・例)犬が走る
B 何がどんなだ。 ・・・例)花が美しい。
@は、ものの名前を表現する文です。
Aは、ものの動きを説明する文です。
Bは、ものの様子や状態を語る文です。
大雑把に言うと、日本語には、この3つの文体しかありません。
ここで、@とBは、ものの名前や様子を説明する文だとして1つの型にまとめてしまうと、
日本語には基本的に、「ものの名前や様子を説明する文体」と「ものの動作を説明する文体」しかありません。英語でも同じです。
地球上の人類が使う言語の文体は、やはりこの2つないし3つしかありません。これが、世界中の文の基本形です。

論理学と数学

さて、文のなかで「何が」にあたる文節(部分)を「主語」と呼びます。
そして、「何だ」「どうする」「どんなだ」の文節を「述語」と呼びます。
それで、「何が何だ。」という言い切りの形を「命題」とか「判断」と呼びます。ここでは、ものの名前(カテゴリー)を断定していますので、論理学では「定言(断定)命題、定言判断」と呼びます。
「もし、・・・ならば」という形で始まる文は「仮言命題、仮定判断」と呼びます。

じつは、ここに数学の論理がすでに入っているのです。
集合論や関数の基礎があるのです。
「何が何だ」(「AはBだ」)という文の主語「何が」には、
ここで主語になっているあるものが「何」「A」であるならば、
という仮定とか前提条件がすでに設けられているのです。言い換えれば、そこにはAであるものの集合が前提・仮定されているのです。

そして「何だ」(「Bだ」)という述語には、
Aという仮定から出てくる結論「B」が示されているのです。つまりBであるものの集合が示されているのです。
あらゆるAは必ずBである、という意味です。

数学の論理で説明すると、
AならばBという結論になるのであって、そのことが正しければ、「Aという集合はBという集合に含まれる」、すなわちA⊆Bという関係が示されているのです。命題が間違っているときには、この関係は成立しません。そして、文自体の意味は誤りとなります。

たとえば、
「猫は動物である。」という文は正しい(真)ですが、主語と述語を逆にして「動物は猫である。」にすると、動物のなかには犬や馬や牛などがいますから、動物は必ずしも猫とはなりません。したがって、この文は誤り(偽)となります。

動物と猫の集合関係.png

ここで、猫という集合は、動物という集合の部分集合となっているのです。したがって、「何が何だ」の文では、主語の意味範囲は、必ず述語の意味範囲よりも小さくて、これに含まれる関係でなければ、文法上も誤りとなるのです。
つまり、正しい国語・文章は、数学の論理から見て正しい=真なのです。文法がよくできる人は、数学が得意になれるはずです。

posted by 田舎おやじ at 14:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ことばで学ぶ数学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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