2013年02月06日

文法と数学

比喩的な意味でよく言われることですが、「数学は数(という言葉)の文法である」とか「宇宙の文法だ」と表現されます。
しかし、比喩ではなく実際にも「数学は文法」なのです。
「文法」とは、言葉による情報伝達(=表現や分析、省察)に関する法則であり、約束事です。
とはいえ、人びとがコミュニケーションのために長い歴史のなかで慣習的につくり上げ、使用してきた言葉や文について、あとから研究して文法が生まれたのですが。
つまり、言葉(言語)がほぼ完成した頃から、人びとは「言葉の世界」を研究して、文法(言葉の法則)を研究し始めたのです。

言葉と認識

で、言葉は私たち自身や周囲の環境・世界について、私たちが意識し、観念し、認識するための表現手段です。つまり、認識手段です。
昔から、人類は世界は神(宇宙の摂理や法則の運動)が生み出し、つくり上げた存在であると信じ、恐れてきました。
そこで、この環境=世界のなかで安全に生きられるように、世界をつくった神の意思や考えを知ろうとしてきました。
つまり、世界(宇宙)の摂理や法則を知ろうとして、海の潮の満ち引き、川の氾濫の様子、さらには太陽や月や星などの天体の動きを観測したり研究したり、動物や植物の生態を調べたりして、そこに法則や体系を見出そうとしてきました。神学と結びついて自然学や哲学、天文学などが生まれました。
もちろん、人間社会の制度、仕組みや動きなどについても、人びとはコミュニケーションをとりながら、掟や法をつくっては改めてきました。法学や政治理論、倫理学、生物学などが生まれました。
それらのために、人間は言葉を生み出し使用してきました。

言葉の論理学

その意味では、言葉は人間が、自分たち自身や社会、周りの世界を写し出し表現する手段=記号だったのです。
そうなると、言葉は現実の世界を反映したものですから、世界の法則や仕組みを反映したものとなり、また、人びとが相互にコミュニケーションを取るためにも、合理的な規則や法則、構造をもつものになりました。
したがって、言葉(単語や文章など)には法則や仕組み=構造が成り立つわけで、文法ができ上がったのです。

人間が考えたりし認識したりするときの方法や規則、形式などを研究する学問を「論理学」といいます。そこで把握された法則や関係性、形式、考え方・認識のすじ道のことを「論理」と呼びます。 で、文法とは「言葉の論理学」ということになります。
この論理や論理学を最も純粋で単純化した形で考察し表現する学問が「数学」なのです。

言葉と科学・数学

やがて人間は、言葉のなかに数量や数量の関係を示す記号や算式をつけ加えて、神学や自然学・哲学のなかに数学や力学(物理学)、化学などが組み立てられるようになります。
どんな偉い数学者や物理学者も、研究のために書物を読んだり世界を観察するときには「言葉」を使って物を表象し、分析し、組み立てます。最終的に数式に表現するとしても。
したがって、どれほど抽象的あるいは難解でも、数式のなかには、おびただしい言葉で説明される規則や法則、仕組みが組み込まれているのです。



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2013年02月04日

中学の数学の底上げ対策

高校受験のための中学校の数学力の底上げのためには、言ってみれば「標準化された方法」があるのです。
中学受験や大学受験では、かなりセンスが物を言う特殊性が強いのに比べて、中学の数学は、科目の内容というか単元の構成が標準化されているからです。

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「何がわからないのか」を知る

私の中学生のときに尊敬していた教師の1人が、入学したての頃にこんなことを言いました。
「『わからないこと』がわからないから、わからない!」と。
つまり、どんな科目でも、自分が理解できていないところ(弱点)を知らなければ、成績は上がらないということです。
このことは、とりわけ数学や理科について、かなりキッチリ当てはまります。
言い換えれば、自分の弱点を明確に発見しやすいのです。

自己点検、弱点発見の方法

数学の教科書でも問題集でも参考書でも何でもいいのです。これまで学んできた単元・分野がすべて目次にのっているものなら。
たとえば、今あなたが中学2年生なら、1年生と2年生の教科書(問題集)を手にしてください。解答や解説が乗せてある本がいいです。
そこには、各単元(章)末や巻末に問題があります。
それのなかから基本問題(文章題を含む)を、最初から巻末まで、すべて解いてみてください。
つまり、すべての単元の基本問題を解いてみるのです。
それで、できなかった単元や設問があなたの弱点、「わからないこと」です。
それが、あなたの「つまづきの石」です。

学習塾や教材の選び方

今述べたやり方は、数学の理解力についての「健康診断」です。
何となく満遍なく復習するというのでは、手間がかかってしまいます。自分が理解できていないこと、理解が弱いところを発見して、集中的に取り組むのです。
健康管理と同じように、まずは機能が衰えている場所、病気の場所を発見して、必要な手当てを施すことが何よりも必要なのです。全身の体力やバランスも大事を回復し増強するためにも、弱いところをまず治すべきです。
したがって、学習塾や教材の選び方にも、この考え方は利用できます。
あなたが入塾したてのときに、それまで学んだ全単元ついて学力の健康診断をしてくれる塾が良い塾で、弱点発見・補強のポイントが明確になる教材が、すぐれている教材なのです。さらに、できれば、「健康診断」後に、こう治療しましょうと方針を具体的に示してくれる塾や教材を選びましょう。
ただ何となく「大丈夫です。成績は上がります」というような塾は、あまりおススメではありません。
「あなたの弱点を発見し、こういうやり方で補強して、やがて全体的なレベルアップをめざします」という明確な治療法・処方箋を示してくれる必要があります。

「本人のやる気、努力の問題」なんていう逃げ口上は通用しません。
弱点を発見して1つひとつ具体的に補強・修復すれば、成果が出るので、生徒に自信がつきやる気が上がるのです。何をしてよいかわからないから、やる気や努力目標が生まれないのです。

優秀さとは、自分の弱さを知るのセンス

勉強にに限らず、サッカーや野球などのプロスポーツでもそうですが、優秀な人は、一方で自分の得意分野を伸ばしながら、他方で自分のどこが弱点かをたえず発見しようと努めていて、その弱点の補強について明確な目標をもっている人です。
得意な分野は楽しいですから、おのずと努力します。しかし、苦手な分野は弱点(なぜ、どこが、どのように)を具体的につかまないと強化・補強の方向が見えません。

posted by 田舎おやじ at 13:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 受験数学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月03日

「数」って何だろう

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今回は、国語や社会は得意だけれども、数学・算数は苦手だ、という人のために、数学を初歩の基礎から学ぶための知識や機会、考え方の「ひとつ」を提供します(ちょっと言い方が偉そうですね。ごめんなさい)。
逆に数学は得意だけれども、言葉や文章で考えるのは苦手だという人には、その得意な分野を将来、大学での研究や専門の職業につなげるための「手ほどき」になる話です。

数と数字

で、話題は「数(すう、かず)」とは何だろう、そして数学や算数のために当たり前に使っている「数字」とは何だろうということです。
さて、数を表すには数字を使うしかありません。
アラビア数字では、「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、…」という表記になります。
日本語の漢字では、「一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、…百、…千、…万、…億、…兆、…」という具合でしょうか。
このほかに数を表記する文字には「ローマ数字」があります。「T、U、V、W、…]、…L、…M、…」という表記になります。時計などに使う文字ですね。

「数量」 と 「序数」

このように、数を表す方法=文字には何とおりかあるのです。
で、表記する手段としての「1、2」や「十」「V]などを「数字」、つまり数を表す「文字としての記号」といいます。
「表記する手段・記号」というなら、数字とは別に「数」というものがあるのか? ということになりますね。つまり「数の実体」あるいは「数そのもの」というものが。
あるのです。

具体的な例で「数」を考えてみましょう。
@「リンゴが1個」「水が2リットル」…⇒個数とか量の度合いや大小という意味。
A「1番目」「第3位」「四丁目」「第三次元」…順序や序列、順番などを意味する。
というように、ごく大雑把に考えると、数は基本としては、2つの意味(領域・範囲)に分かれます。
ここで、@の用法・領域の数を「数量」と呼ぶことにしましょう。
これに対して、Aの領域の方を「序数」と呼ぶことにしましょう。
序数の方は、ものごとの順位や序列を意味しますから、秩序や組み立て、物の成り立ちの仕組みなどを表現する場合が多いのではないでしょうか。
そして、「四丁目」とは「第三次元」というものは、序列のほかに「範囲」や「空間や存在の広がり」をも意味することになります。

「数そのもの」 と 「記号としての数字」

これらの数量や序列などは、数字以外の記号で表すことができます。
たとえば「2」を「●●」、6を「●●●●●●」で表すことを約束事にする。
1番目を「|」、5番目を「|||||」で表記するものとする。…とか。
実際に、人類の歴史を見ると、そういう記号を使っていた時代もあったのです。が、表記や実用に便利なアラビア数字とか漢数字などに進化してきたのです。
ほかにも「縄の結び目の形」とか「動物(想像上の動物も含む)などの形」を数字として使ってきた文明もあります。
というわけで、数量とか序列について、人類はかかなり古い時代に発見し研究していたのです。その後、より便利な記号を編み出して、文明の手段とか装置として利用してきたようです。

ところが、「数量」と「序数」という、この2つの用法・領域はじつは、根元のところでは同じものになるのです。
「自然数」で考えると、数量で一番小さな単位、最初の単位を「1」として、その2倍の量を「2」とし、3倍の量を「3」とする…というふうに、数量は序列や順位によって規則を決めてあるからです。
しかし、ここでは数は「数量」と「序数」に区分できると理解しておきましょう。

posted by 田舎おやじ at 15:43| Comment(0) | TrackBack(0) | ことばで学ぶ数学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月31日

受験数学 急がば回れ!

今回は「受験」のための数学の勉強法について、考えてみます。
とはいっても、今は受験直前でとにかく自分のやり方で頑張るしかないから、「よそ見」している余裕はない、という人にはおススメではありません。

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少しは心に余裕のある人、あるいは来年度以降に受験を控えている人たちへの一言です。
ものすごく記憶力が優秀な人を除いた普通の人にとっては、答えを急ぐ、公式や定理の暗記に頼る、という方法は、「その場しのぎの点数稼ぎ」にはなっても、総合的に理解力を判定される入学試験には、向いていません。
むしろ「遠回りに基礎からゆっくり」と学ぼうとした方が、結局は確実です。
より簡単なものから始めて「なぜ、どういう理由でそうなるのだろう」「ほかにも解き方、考え方はないだろうか」というふうに、ひとつひとつ積み上げていく方が、いいのです。
というのは、数学の世界の論理、考えの進め方は、そういうふうになっているからです。

受験数学の出題者の立場からは、公式や定理の暗記力を試そうというつもりはまずありません。
むしろ、考え方や解き方を確実に進める力や発想を確かめてみたい、というのが本当のところなのです。
だから、丸暗記では解き方が思い浮かばないような出題方法、設問方法にするわけです。
そのような見方からすると、問題には普通の計算力だけでなく、
文章題にして、言葉の理解力がどれだけあるか、
文章から数量と数量との関係(たとえば比例関係、和や差の関係、順序の関係など)を読み取ることができるか、それを方程式や代数の計算式などに置き換えられるか、
三角形や多角形などの図形やグラフの座標などを示して、位置関係や図形の性質を読み取れるか、
というようなことを試す設問になるのです。

そうすると、問題は、ひとつひとつは基礎的で簡単な知識・計算・定理などなのですが、それらを組み合わせて考える能力とか、どういう関係を考えて分析しているのかという発想を問うようにつくられている場合が多いのです。
「なぜそうなるのか」「やり方にはどういうものがあるか」という考え方で、普段学んでいる人に有利にはたらくようになるわけです。
文章の理解力ということからすると、高い国語の能力が求められます。
まず、今わかっている条件はどういうものか、 何が疑問点になっているのか、
何が、なぜ、どのような仕方で関係しているのか、
図形の線や辺、角度のあいだの関係をどうなっているか、
などを読み取り、頭のなかで組み立て、関係づける思考力とか発想が求められるのです。
その意味では、数学を学ぶ上で読書は大変に大事です。

posted by 田舎おやじ at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 受験数学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月30日

実在する無限を体験する

数学の分野の1つに「数論」というものがあります。
自然数とか整数、正負の数、分数、小数、奇数・偶数、約数や倍数…など、数の性質や数の世界の仕組みや法則などを研究する分野です。
そのなかに「無限論」があります。たとえば「無限大」「無限小」「無限分割」などを考える分野です。

ところで、理論的には「無限」は存在するということになっています。
しかし、私たち人間が、無限を現実に見たり体験したりすることは、無限というだけに、普通はありえない話です。
それに「無限」といっても、数学的に見て「これは確かに無限だ」と判断できるものごとは、めったにありません。
たとえば「宇宙の大きさ」。
比喩的ないし文学的、情緒的な意味合いで、「宇宙の大きさは無限だ!」という表現がされることがあります。たとえば、満点の星空を眺めて感動したときに。
でも、現代の宇宙論や天文学によれば、この宇宙はだいたい140億光年の広がりの有限な世界=空間であるということです。
つまり、有限なのです。

ところが、私は中学生のときに《現実に存在する無限》を体験したことがあります。
私が通っていた中学校のお手洗いには、男子用・女子用トイレのあいだを仕切るように洗面場がありました。

お手洗い.png

部屋の両側に大きな鏡が1枚ずつ貼りつけてありました。縦80センチメートルくらいで横1メートルくらいの長方形の鏡です。

あるとき、鏡の真前の水道蛇口を使って手を洗った後、何気なく鏡をのぞきこみました。
すると、正面の鏡のなかに、反対側の壁の鏡が映っていました。もちろん、鏡のなかには鏡を不思議そうにのぞいている私が映っています。
そして、映っているその鏡のなかには、反対側の鏡(つまり、私がのぞいている鏡)が映っています。
さらにそのなかには、その反対側の鏡が映っています。さらにさらに、そのなかには…。
というわけで、互いに反射し合う鏡の写像が互いのなかに映り続けているのです。
数えてみましたが、20個くらいでわからなくなりました。
写像の数は無限ですが、私の能力は「あまりにみじめに有限」です。
後ろを振り向くと、鏡に同じような写像が連続していました。
図にすると下のようになっていました。

無限.png

こんな狭い空間では、光は直進しますから、鏡は互いに映し合って、写像は無限に続きます。
つまり、そこで向かい合った鏡が互いを無限に映し合うという現象が起きていたのです。
そのときの知識で、光の速度は秒速30万キロメートルなので、仮に2枚の鏡ののあいだの距離を3メートルとすると、1秒間に写し出される鏡の枚数は「30万×1000」枚で3億枚になるのかな? なんてことをぼんやり考えていました。
ということは、実験として鏡の枚数を数えて、それに2枚の鏡のあいだの距離を掛け算すると、光の速度は測れるんじゃないかな、なんてね。

posted by 田舎おやじ at 09:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 数学入門 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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